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昭和十六年、連合艦隊司令長官・山本五十六大将は、ハワイ・オアフ島のアメリカ太平洋艦隊根拠地の真珠湾へ航空攻撃を行う作戦を提案した。
同年十一月二十六日、南雲忠一中将が座乗する空母『赤城』を旗艦とする機動部隊が択捉島ヒトカップ湾から真珠湾を目指し出撃した。
真珠湾への進撃中も、ワシントンでは日米交渉が続いていたが、交渉は決裂。
連合艦隊司令部より南雲機動部隊へ「予定通り真珠湾攻撃を決行せよ」の意味である暗号電文『ニイタカヤマノボレ』が発信される。
十二月六日、ハワイのアメリカ軍哨戒圏内に到達した南雲部隊旗艦『赤城』に『皇国ノ興廃 コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ』という意味のZ旗が掲げられた。
十二月七日午前五時三十分、南雲部隊に随伴する重巡洋艦『利根』と『筑摩』から先行偵察の為に水上偵察機が1機ずつ射出される。
しばらくして「真珠湾には戦艦9隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦9隻が停泊』との水偵の報告が入る。
午前五時五十五分にオアフ島北方460㎞から淵田美津雄中佐を指揮官とした第一次攻撃隊を6隻の空母から発艦させた。
編成は制空隊の零式艦上戦闘機43機、急降下爆撃隊の九九式艦上爆撃機51機、水平爆撃隊の九七式艦上攻撃機49機、雷撃隊の九七艦攻40機、合計183機からなる大部隊であった。
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