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 牡丹雪は止む気配が無くて、それでも積もるほどではない。落ち葉に覆われた地面に触れたそれは、瞬く間に消えていった。ぷつぷつと途切れる意識の中、枯れた山道を彼女に支えられて進んでいく。どれくらい歩いただろう。服に染み付いた血はまだ乾かない。また少し意識が遠退く。 「ほら、着いたよ」 彼女が僕を揺り起こした。 湖に着いたようだ。 遠くの山々は月に照らされて、辛うじて輪郭を保っている。湖面は静かに澄んで、磨き上げられた鏡のようだ。湖畔の桟橋を進み、杭に繋がれた小舟に二人で乗り込んだ。縄を外してオールを動かすと、腹の傷が少し開いた。湖の真ん中まで漕ぎ進んでから、オールを湖に投げ入れた。 舟の中心で、彼女と向かい合わせに寄りかかる。 「こういうの、山紫水明っていうんだよね」 僕の鎖骨に張り付いた額から、柔らかな振動が伝わった。目深に被った帽子のせいで、彼女の表情は読めない。また少し朦朧とする。 「明鏡止水、じゃなかったか?」 腹が不快な熱を帯びている。意識を取り戻して、周りを見渡す。月は満月に少し足りないくらいで、湖の縁に茂った薄を照らしている。染みるような闇は、凍りつく吐息の白さを際立て、そして直ぐにかき消した。 静寂。 まるで世界にいるのは、僕と彼女の二人だけみたいで。 「ねぇ、ここがいいね」 僕の鎖骨から額を剥がして、うつ向いたまま彼女は声を上げた。水面に映り込んだ月から目を離して、彼女を見る。 鴇色の頬。 降り続く雪と同じ色の首。 それはとても儚くて。 それはとても綺麗で。 ──世界など、この舟の大きさで十分だ。 思うのと同時に、ようやく彼女は顔を上げた。 視線が絡む。 潤んだ瞳。 その輝きに、見覚えがあった。それをどこで見たのかを思い出す前に、彼女が口を開いた。 「どうせ、死ぬんだったらさ」 零れ落ちた涙を見て、僕はようやく思い出した。 ああ、あの光だ。 子供の頃に見た、流れ星。 追い掛ける間も無く夜空に散った、あの輝きだ。 何も言わず、僕は彼女を抱き寄せた。 ぴたりとくっ付けた頬が、温かく濡れた。  
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