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「あれ、覚えてます?」
帯を締め終わるのを待って、私は康吉のひょろりとした背中に声を掛けた。
事が終わった後の部屋は、香と汗と煙草の匂いが混じって、蒸せ返る様な空気に満ちている。久方振りに見た康吉の身体は夏の間に焼けた様子も無く、なまっちろいままだった。着替え終えるのを待って訊いたのに、康吉は何も云わない。待ちきれずに返事を急かした。
「ねえってば」
「んぅ? 待ってな。煙管が見付かんねぇんだ」
康吉はそう云って部屋をうろうろし始めた。
──男は狡い。
手前に都合の悪い問いには耳を塞いで、手前の知りたい事だけは漏らさず訊こうとする。
そこいらの餓鬼と、変わりないじゃないか。
私は枕の下に転がり込んでいた煙管を見付けて、畳の上に放った。
「煙管なら此処だよ」
「おぉ、悪いな」
焦れったい。
康吉はやっと此方を見た。
切長の眼。
「で、何の話だ?」
「あたしを──連れてってくれるって、話だよ」
「そんな事云ったか?」
「云ったじゃないか、『お前と沿いたいよ』って」
「本当かぁ?」と、訝しげな顔で康吉は答えた。
「何だ、他の男と間違えていやしないか?」
にやにやと康吉は笑っている。
──ああ、またか。
身体の芯が抜けた。
──否。
何を落胆する事がある?
そうさ、いつもの事じゃないか。
騙された訳じゃない。酔っ払いの戯言を信じる方が莫迦なんだ。
呆けている内に、康吉は襖に手を掛けた。
がらりと音がして、
「あ」
待って、と声が出そうになる。
止めろ。
惨めったらしい。
「何だ?」
半端な姿勢のままで、康吉が訊いてくる。
切長の眼が、私を見ている。
「……いいえ、何も」
もういい──早く、帰れ。
黙り込んだ私に、「何だ一体」と云って部屋を出た康吉が、急に振り向いて、訊いた。
「なぁ、お前」
べったりと笑みを張り付けた顔で。
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