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そうして文章の六割も書けたのを見計らってナツが声をかけた。
「孝哉さん、もうお昼ですわ。朝食もとらないでいて、これでは体に毒です。おむすびを用意しますので片手間にでもお上がりなさいな」
心配げなナツの言葉に孝哉は興奮したように振り返り、すぐそこで正座をしているナツの肩を掴む。
「ナツよ。君の髪は烏の濡れ羽色というに相応しく、顔立ちもとてもよい。そして気遣いも器量もよい。いや、なに、私はなにもナツの髪に惚れたわけじゃない。そうではないが、君の髪はこの上なく魅力的なのだ。どうだ、それだけ艶やかな髪を持ちながら、君は髪飾りのひとつもしないし、流行りの電髪屋に行きもしない。かといって手入れをしないわけじゃない。野暮ったく髪をただ垂れ流している様でいて、滝のように綺麗に落ちている。手櫛なんぞでは引っかかりはしない。そして私は君がそうしている理由を知っている。世に沢山の『オンナ』が出てきた。『あれ』はどうしたってお洒落とやらを履き違えていてよろしくない。化粧やお洒落は化けるのではなく引き立てるものであって、必要以上のそれは醜いものでしかない。そして君はそのお洒落を最低限に行っているだけなのだ。
それにしたってどうだ。そんな君を嫁に迎えてから私の売れようと来たら、こうして食うに困ることもない。ありがたい話だ。君は私の女神なのだ。
私は今その思いをありったけ文章にするのだ。私はこれをすぐにでも出版社に持ち込み、早く世に出したいのだ。わかってくれるね。
だから、昼食をとる暇はないのだ」
そう言って孝哉はまた文机に向かい、作業を再開した。
ナツはおむすびを乗せた盆を抱えたまま、孝哉の背をただやるせなさそうに眺めていた。
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