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「どうか、……お願いです。見ないでくださいまし」
孝哉の動きがぴたりと止まる。ナツの必死さはどうにも異常だ。
「なぜそんなに嫌がるのだい。訳を教えてくれねば納得できないよ」
「それは……」
しばらくの沈黙ののち、絞り出すように述べる。
「孝哉さんが私の側からいなくなってしまうからなのです」
孝哉は首を捻る。どうしたらそのような結論にいたるのだろう。ナツがいなくなってしまうことの方がよほど自然に思える。鶴の恩返しでもいなくなってしまうのは鶴だ。
「何を言うのさ。私がナツの側を離れることなぞありえはしない」
「本当ですか?」
「ああ、もちろんだ。だから覗かせておくれ」
「……」
ナツは黙り込んだ。それを許可と受け取り、孝哉は台所に踏み込む。と、同時に嫌な予感がした。覚えがある。姿を見て、見た側が逃げ出してしまう話を。
ナツは台所に向かったままで、背姿しか見えない。まだ正面から見たわけではないが、もはや引き返しようがないと直覚した。
場の雰囲気が変わったのを感じると同時に、家の天井やら壁やらが灰となって消えた。畳やちゃぶ台、台所など床に接しているものだけを残し、他の全てが灰になった。
灰になったのは空も同じで、今まで夕日色だったそこは、黒い赤い煙のような何かが渦巻く天井であった。そこから鍾乳石のような形で腐った珈琲色の何かが獣の牙のように生えていた。
煮物の匂いは消え、辺りには死臭が漂っている。
「これは一体……」
「ここは黄泉の国ですわ……」
ナツが振り返らず答えた。死臭の出どころに気がついた。ナツから漂ってきている。
「ナツ……君は……」
「ええ、私はもう死んでいますの。病に犯され、死にました」
ゆっくりとナツが振り返る。
「ああっ、なんということだ」
孝哉は愕然とした。
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