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ところで、そんな大発見となった裏では悲劇が幕を開けていましたね。
最初の犠牲者は当事の村の観光課長、彼は古墳の発見から2ヶ月後の5月21日に亡くなった。
直接原因は肺癌になっているが、『古墳の発見から毎夜うなされていた』と家族が証言をしている事もあり、高松塚の呪いではないかと囁かれはじめたわけです。
次は8月21日、発掘作業に従事していた女性が亡くなった。
彼女は死の2日前に、体調不良を訴え寝込み。
瞬く間に全身が腫れ上がり、数時間苦しみ事切れたという。
さらに一年後の8月21日、高松塚のある平田地区の総代が車に跳ねられて死亡した。
彼が、観光という面で発掘を一番推進していたそうです。
また同日、壁画の修復にあたった画家も交通事故により死亡した。
奇妙なことは其れだけでは無く、関係者が死亡したのは全て21日。
高松塚の発見されたのと同じ日付でした。
この地は、また不吉な事に4444番地という死が重なる番地でもあった。
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