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王の墓を暴いた者は呪われるというエジプト古来の言い伝えである。
やがて、不安は現実にかわる…
カーナウ゛ォン卿が病に倒れたのだった。
23年4月6日、『彼の呼ぶ声が聞こえる…彼についていこう』そうつぶやきカーナウ゛ォン卿は永眠した。
そしてこの後も次々とファラオの呪いを裏付けるように、発掘関係者が亡くなっていったのです。
ツタンカーメンの墓の玄室の開封に立ち会ったニューヨーク・メトロポリタン美術館エジプト部長アーサ・マークス急死。
さらにカーナウ゛ォン卿の友人、ジョージ・グールドが王墓を見物後に急死。
その後もファラオのミイラのX線撮影を行なったイギリス人技師。
ミイラの検死を行なった医師二人も相次いで変死したのです。
カーナウ゛ォン卿の死から、わずか6年で死者22人、その内の14人が玄室開封に立ち会った人でした。
ですが、呪いなど無いと主張する人々もいます。
亡くなった人達は、みんな高齢者だったり持病があったのではないのかと。
また、連続怪死の原因を感染症と推測した人もいました。
1962年カイロ大学エセディン・タハ博士発表では。
呪いではなく、古代の病原菌などであると、アスぺギルス・ニゲルという病原体はミイラの体内や王墓などの密閉された空間で4千年も生きるといいます。
そして開封された時に感染したのだと言うことです。
他にも、カビやコウモリのフンで繁殖する寄生虫原因説などもあります。
そのタハ博士も、自説を発表した直後に交通事故で対抗車と正面衝突をおこしたが、解剖の結果は衝突直前には循環器不全で死亡していたのです。
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