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色々考えすぎると、深く落ちてしまいそうなのに、目の前の数学にだけ打ち込んで、こんなにいい風が入ってきて…
とても気持ちが良かった。
ところが気分がよかったのも束の間。
応用問題に突っ掛かった。
(これは…まず何をしたらいいんだっけ…。)
かれこれ5分くらい手が止まってしまっていた。
ふと、誰かの声がした。
「そこは105ページの公式を使うんだよ。」
ハッとすると、向かいの席に男の子がいた。
私は誰かが来たことにも気付かない位集中しきっていたのだ。
しかしながら、その男の子は例の椎名君だった。
私が顔を上げても目も合わさずに黙々と自分の勉強をこなしていた。
彼は英語を復習していた。
椎名君の言う通りにしてみたら、あっさり解けた。
数学は苦手だったので、他にもわからない所があった。
でも椎名君に対してはあまり良い印象がなかった。
当然だ。
秋野さんを自殺に追いやった二人。
実行犯は森崎鈴花だとしてもだ。
(でも、ここは割り切って利用してしまいましょうか。)
この「利用」というのは、私の中では最低な振る舞いに位置付けている。
人としての椎名君は憎くても、「利用」する対象のものとしては何とも思わない。
とりあえずわからない問題の所でわざと突っ掛かったフリをしてみた。
「そこは102ページの問3の応用。その式を図にするとこうだから…」
すぐさま答えが返ってきた。
続けて3問、同じ手で教えてもらった。
これは、彼の優しさなのか、気紛れなのか、よくわからなかった。
「篠崎さん…だよね?」
ようやく目を合わせてくれた。
「そうよ。よく覚えてたね。」
「うん。覚えてるよ。」
黒縁の眼鏡の向こう側で微笑んでいるのがわかった。
澄んだ目がきらきらしている。
夕焼けに照らされた顔は、頬が紅潮していて綺麗だった。
「…ねぇ、秋野真弓って知ってる?」
「あぁ、亡くなってしまった子だね…顔はよく知らないけれど。
俺、中学同じだったらしいんだ。」
私は何故かほっとしてしまった。
この澄んだ目の持ち主は、悪い人間ではないとわかったから…。
とたんに「利用」してしまった事を後悔した。
「篠崎さん、どうかした?」
気付いたら泣いていた。
何かがぷつんと音をたてて切れたみたいに。
「ごめんなさい…。」
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