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それでも全ては一瞬だった。
「……失礼しました」
静流は今までに見たこともない、能面のようなのっぺりとした無表情で一礼すると、足音も立てずに部屋を出て行った。
微かな音を立て扉が閉まる。
静流の腕に抱かれ店を出てから、まだ一時間も経っていない。全ては、呆気ないほど短い時間の出来事だった。
「……馬鹿」
誰にともなく呟き、私はベッドに突っ伏した。
引き止められなかった。
静流は分かっていた。私の想いを知っていながら、権利はないと言った。
尚かつ「社長」と呼び、一線を引いたのだ。
私が謀らずも踏み出した一歩。ようやく踏み出したその一歩分、静流は退いた。
社長と秘書、仕事と私事。その境界線を、越える気はないのだと言わんばかりに。
それを思うと絶望で目の前が真っ白に灼け、怒りで腹の底がふつふつと滾り、引き止める言葉は喉に張りついた。
今までの時間は、いったいなんだったの?
共に過ごした六年の歳月が、全くの無意味だったとは思いたくない。
そう思わなければ、あまりの無力感と虚無感にぼろぼろと崩れてしまいそうで……
私は更に強く強く、唇を噛み締めた。
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