1098人が本棚に入れています
本棚に追加
「社長。車が参りました」
優しく肩を揺すられ、「ううん」ぐずるように呻く。
今は何もしたくない。このまま眠ってしまいたい。
「さあ。起きて……ちゃんと立ってください」
むずかる子供を宥めるような声の甘さ。二の腕をやんわりと掴む指の長い手。その力が意外なほど強いことを私は知っている。
手を振り払いカウンターに身を預けたまま、乱れた髪を掻き上げ、鴇色の霞がかかった目を瞬く。
「静流……あなたは酔わないのね。つまらないわ」
「あなたを支えられなくなるのは、困りますから」
静流の腕に腰を抱かれ、名残惜しくもスツールを降りた。
静流はよろめく私の身体をしっかりと、肉づきの薄い胸に抱き、仄暗い店内から小さなネオンの煌めく店表へと出る。
春先の夜風がほてった頬や首筋をなぶり、私はぶるりと身を震わせた。
「寒い」
「呑み過ぎるからですよ。早く車の中へ」
身を竦め、自分の腕を擦る私をタクシーに乗せ、するりと静流も隣に乗り込むと、行き先を告げる。
緩やかに走り出したタクシーの車窓を眺めながら、静流はさり気なく手を握り、私の身体を引き寄せた。
最初のコメントを投稿しよう!