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「杏朱……杏朱…?」
付き合って5年続いた私の恋人、克也が、いつもするように私を揺り起こそうとした。
私はかすかに目を開けた。
「…………よかった……」
克也は私の隣りに崩れて泣いていた。泣いている彼を見たのは、初めてだった。
彼に触れようとして、手が動かない事に気がついた。
「まだ…動いちゃダメだよ…クルは大丈夫だから」
クルは私の愛犬クルミの呼び名だ。…少しずつ記憶が戻って来た。
…12月25日。雪の夕方のクルの散歩。急な坂とカーブの多い団地内。スリップした荷物車両に轢かれたのだった。
結果は轢き逃げ。クルをかばって私は轢かれた。多分運転手は犬を轢いたと思っているだろう。
放置された時間、極寒の中2時間。出血多量に全身骨折。フードで顔だけは守られて、頭に包帯が巻いてあった。
『そんな顔…しないで。クルが無事なら良かったよ』
何故か、かすかに話せた。
「うん…今日はここにいるから…」
そういえば、天井と匂いからして、やはり病院にいるのだろう。
眠くなってきたが、何故かこのまま眠るのが、恐かった。
だから、
「克也…」
最後に、
「いつもみたいに笑ってる克也が…」
見たいのは、
「私ね…」
貴方の、
「大好きだよ…?」
笑顔なの。
ゆっくり上がった顔。涙が浮かんでいるけど、間違いなく笑顔。
「うん。俺も…愛してる」
たった2つ上の恋人。
たった5年間の恋愛。
(いいんだ…だって…)永遠の別れの前に、貴方の笑顔が見れたから。
私はかすかに微笑むと、そのまま永遠の眠りに落ちて行った。
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