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夕刻。
祖母に遣いをたのまれ、門を出ようとするとき、純白の繊細な花びらを揺らす庭の嵯峨菊を振り返り、なんとなしに寂しい思いがした。
そのとき、垣根代わりに植えている椿の木の向こうから、こちらを見ている女性に気が付いた。
色白の、品のある女性で、年のころは20歳前後であろうか。
虎之助と目が合うと、穏やかな笑顔をたもったまま
「きれいなお庭ですね」
と声をかけてきた。
庭をほめられることは珍しいことではないが、こんな若くてきれいな女性に声をかけられることは稀である。
虎之助はどぎまぎしながらも
「は、はい。あ……よかったら、ご覧になりますか」
と庭の中へいざなってみる。しかし、その女性は
「でも、どこかへお出かけになるところじゃなかったのですか」
と丁寧に答える。
虎之助はたのまれたお遣いもすっかり忘れてしまっていた。
「あ、ああ……そう、ちょっとね、そこまで……」
「よろしければ、歩きながらでも結構ですので、お庭のお花の話、聞かせていただけますか」
こ、これは意外な急展開だ。花の話ならいくらでもできる。この女性もたぶん花のことが大好きなんだろう、きっと話も盛り上がるにちがいない。
「あ、もう、喜んで!」
出会いというものは、どこにきっかけがあるか分からないものだ。
その女性は、真子という名前だった。
真子と虎之助は、その日を境に、よく連れ立って出かけるようになった。
近所の植物園が2人のお決まりのデートコースだった。
しかし、たまには違う場所へ行こうということで、ある日、紅葉狩りに山へドライブに行った。
紅葉狩りのドライブは、二人にとって忘れえぬ思い出となっただろう。
その日はじめて、二人は愛のことばを交わし、唇を重ねた。
虎之助も真子も、幸せだった。
しかし、虎之助にはひとつの疑念がある。
真子は、携帯のメールも、住所も電話番号も教えてくれないのだ。
次のデートの約束も、何日の何時、という口約束だけであり、その時刻になると、彼女が虎之助の家の前に現れるという待ち合わせの仕方であった。
今までにデートを重ねてきた中で、彼女が約束を違えることはなかったが、これから先、何かあったときに連絡先がわからないというのは困る。
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