第一章:鏡の中の鏡

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 今までにない最低のコンディションで臨んだ授業は、僕にとって一縷のメリットもなく、ただ時間を浪費だった。  教師の声は耳鳴りで呪咀にしか聞こえず、周りの奴らの顔はぼやけて区別が付かない。少しでも油断すれば吐き気が込み上げてきそうで、気を張り詰めざるを得ず、精神も激しく磨耗した。    過去のトラウマが今尚僕を苦しめる。今、死を振りまく狂人が街を闊歩し、僕のトラウマを刺激しているのだ。  ようやく最後の授業が終わり、足早に教室をあとにする。  歩くのが辛い。正直立っているだけでも苦痛だ。 「――くん?」  早く帰って薬を飲んで寝よう。どうにかなってしまいそうだ。 「――くん!」  耳障りなノイズが頭痛を促進し、顔が引きつっている。ああ、くそう。 「――くん! ああ、もうっ。……空!」  耳元で鼓膜を破らんばかりの大音量の呼び声がして、はっと思考の糸がぷつりと切れた。  呼び声の方へ振り向くと、ムッとした顔の宙が息を吹き掛ければ掛かるほど近くにあった。 「あ……、えっ? 宙?」 「どうしたのよ? 一日中ずっと具合悪そうにして……。昨日何かあったの?」 「昨日……」  あったもあった、大有りさ。 「……深夜の散歩で、さ。ちょっと、調子崩したみたい。それだけ、だから」  余計な情けなど掛けられたくない。痛みを顔に出さないよう、無表情を装う。  だが、そんなことは関係がないみたいだった。“深夜”という言葉が出た途端、僕を心配するような様子は消え、目は冷たい色を帯びていた。 「もしかして、見たの?」  表情の微々たる動きまで見逃さなさそうな、細い鋭い視線が僕に向けられる。  見た、とは死体のことなのか? 今朝のニュースでも報道されていたから、そう見当を付けたのだろうか?  どう答えを返せば良いか分からず、言葉を身繕い、はぐらかすべきか? 「……何のことだかわからないけど、夜風に当てられて体を冷やし過ぎただけだよ」 「……」  宙はじっと僕に視線を向け続けている。お互い足を止め、視線を交差させ続けた。額にはこの場の妙な緊張からか、うっすらと汗が浮かんだ。 「……そう」  視線が外され、僕はようやく心の中で一息つくことが出来た。 「物騒だからあまり出歩かないようにね」  そう言って颯爽と歩いていく宙の後ろ姿がやけにあの光景とダブって見えた。
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