第一章:鏡の中の鏡

42/43
前へ
/139ページ
次へ
「そんな顔されるとこっちも困るんだよ」  大げさに肩を竦めてみせる。 「だから、さ。代わりに……」  ギュッ、と。  手を引いて、抱き寄せた。顔が向かい合う形となり、ほんの五センチ先まで不意を突かれてきょとんとした宙の無防備な顔が接近した。  ふわっ、と。女性特有の甘い香りが僕の鼻腔を擽る。抱き寄せた右腕が宙の細くて柔らかい背中の感触を伝えてくる。うーん、女と男って違う生物じゃないのかなぁ? 「あっ、と、お……え?」  理解が追い付かないようで、宙は視線を僕の顔と腕とに彷徨わせる。 「目、つぶって」 「へ? あっ……、あ、うん」  慌ただしく目を閉じて、ピンと姿勢を正す宙。その地面に対して見事な垂直具合をひとしきり観察する。おー、猫背気味のぼくにとっては羨ましいね。  そんな間も宙は褒美を待つ忠犬の如く、身動き一つしなかった。  そろそろ、いいか。 「宙……いい?」  しかし、宙からの返答はなく、だんまり。その沈黙は肯定と受け取ってもいいのかな。 「はい、ちゅー」  人差し指と中指を引っ付けて横向きにし、宙の唇に重ね合わせる。ビクッ、と宙の肩が揺れるが抵抗はない。 「もう、目を開けてもいいよ」  宙は言われた通りにおずおずと目を開け、そして時間が凍ってしまったのかと錯覚するほど固まった。  あは、悪戯成功ー……お?  宙は頬を林檎のように真っ赤に染め、騙されたという羞恥心からか、ぷるぷると震えだす。  あ、あれ? もしかして怒ってます? 「あのー、宙さん?」  宙は顔を隠すように俯き、スッと静かに拳を持ち上げる。 「ふっ、ふふふ。私を誑かすなんていい度胸してるじゃないの、空くん?」 「いや、まぁ……その、ほんの出来心というか、場の流れを変えようとしたジョークと言いますか…………腹だけは勘弁してくださいっ!!」 「そう、腹以外ならオーケーと、つまりはそういうことね?」 「はっ!? しまった!」  ニヤリと宙の口元が歪んだかと思うと、左手にぃぃぃ! 「アーッ! ちょ、ちょっと……や、やめて、痛い、痛いってば。左手が動かなくなる! そんなにしたらもう動かなくなるって!」
/139ページ

最初のコメントを投稿しよう!

427人が本棚に入れています
本棚に追加