三好京平の憂鬱。

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自分は何の為に生まれてきたのか、などと真剣に考える事のできる暇人は、 卵が先か鶏が先かを無限ループで考える能力を持つ最近では希少価値の低い、中二病患者であろう。 …それも末期である可能性が高い。 そもそも答えのないものを探す、考える事が無意味だ。 例えば、難しい数学の問題を解いていたとして。 解き終えた後に回答をなくしてしまったとする。 その瞬間、問題を解いた事実は無意味なものとなるのだ。 努力が水の泡とはよく言ったもので、問題を解く事自体にさほど意味はないのだ。 本来問題を解く事の目的は、どこを間違えてしまったのか知る事にある。 もちろん人類未踏の地まで深く研究するような数学者の場合それは当てはまらないのであるが。 つまり何の為に生まれてきたのか、という問いの答えをどれだけ考えた所で時間ばかりとる上、誰もが納得できるような答えはでてこない。 そしてある時気づくのだ。
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