2/88key

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彼の長い指先が88の鍵の中から一つの白鍵を選び出す。 ポーンと軽くもしっかりとした音が冷えた空気を揺らし、あっという間に溶けて消えた。 彼は視線を鍵盤から外し、俺の視線にぶつけると意地の悪い笑顔をうかべた。 「ねぇ、何か弾いてよ…」 俺は少し驚いた顔をして、苦笑いをうかべる。 「無理だよ… 最近、ピアノなんて弾いてないし、しかも、手が悴んで動かない…」 俺が顔の前で両手を擦り合わせてハァーと息を吐きかけながら答えた。 すると彼は 「じゃあ、ちょっと此処で待ってて…」 と言って俺の返事を待たずに教室を出て行った。 一人取り残された俺は、さっきまで彼が立っていた位置に移動する。 彼と同じ様に人差し指でもって、白鍵の一つを押さえてみる。 さっきのそれより低い音が長めに響き、やがて細く消えてゆく。 彼と同じ目線で同じ行動をしてみても、やはり彼が何を考えていたのかは解らなかった。 俺はピアノの椅子に腰掛けると、指を鍵盤の上に並べた。 何の曲を弾くかを迷った後、数年前に流行った曲を選ぶ。 あまり好きな曲ではなかったが、簡単で弾きやすい為、そのアップテンポな曲を弾き始める… イントロを弾き終えるところで音を間違え、指をとめた。 やはり、寒くて手先がうまく動かない。 俺は再び手を擦り合わせた。 「弾く気になったの?」 急に声をかけられ、俺は少し驚いて声のした方へ振り向いた。 そこには嬉しそうに笑った彼が立っていた。 「…やっぱり寒くて無理…」 俺がいつもの苦笑いを浮かべると、今度は満足そうに笑う彼。 「はいよ。奢りだから…」 彼はそう言ってポケットから缶珈琲を取り出し、俺に手渡した。 俺は『無糖』と表示された珈琲を受け取った。 「…ありがと…」 彼は俺に背を向けるように俺の座ってる椅子半分に腰掛けた。
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