鈴の音

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◇恭一◇ 砂田恭一は、ただ猶予期間が欲しいだけの理由で、大学に籍を置いていた。 元々向学心など無いし、大学より夜の街に居る時間の方が長い位だったので、当然、単位も足りない。 留年が決まった時、母親は怒っているのか泣いているのか判らない程責めたてたが、父親は何も言わなかった。 (やっぱり、親父は俺に関心無いんだな……) 恭一は内心そう思ったが、申し訳無さもあって、家業の手伝いだけは怠らなかった。 恭一の父は職人肌の工場経営者で、恭一は運転免許を取って以来、配達を手伝っていた。 今日も、その家業手伝いの為に、自分の通う大学の工学研究所に来た。 文系の恭一には普段縁の無い理系エリアだ。 父の工場は、研究所に特注の部品を納めていた。 「すいませーん! 」 研究所の受付に人が居らず、恭一は声を張り上げた。 「誰か居ませんかー? 」 重い段ボール箱を抱えて、暫く待った。 もう一度声を掛けようかと口を開きかけた時、廊下の向こうに人影が見えた。 白衣と首から下がったIDで、ここのスタッフと思うが、如何にも不慣れな様子だった。 ぱっと見には色白で線の細い男に見えたが、近づいた相手をよく見ると、不恰好な眼鏡の下は、地味ながら整った綺麗な顔立ちだった。 つい見とれてしまい、挨拶が遅れてしまった。 「高砂工業です。部品を納めに伺いました。受け取りにサイン下さい」 「はい」 恭一は返された伝票を見て、目を丸くした。 読めない。 決して字が下手な訳ではない。 初めて見る名字だった。 「あの~、何て読むんですか? 」 思わず聞いてしまった。 別に読めなくても、サインさえ貰えば仕事に障りは無いのだが、相手への関心の方が勝った。 「ヤサカです」 「そうですか。あの、ここらではあまり見ない名前なんで、その…つい。すいません」 恭一はIDを目で追った。 弥栄 充 というフルネームと顔写真が付いていた。 変わった名字と共に、地味な眼鏡顔が記憶に残った。image=324686073.jpg
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