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◇充◇
弥栄充は、この春初めて一人暮らしになった。
大学入学を機にアパートに移った。
それまでずっと、大勢の他人と暮らしてきたので、古くて狭い安アパートでも「自分の城」という気がして嬉しかった。
高校の恩師の紹介で、アルバイトを確保できた。
大学の教授の雑用係と、工学研究所の下働きで、どちらも講義の合間にできる仕事だ。
せっかく苦労して掴んだこのチャンス、無駄にすまいと充は気を引き締めた。
充の毎日は、ほぼ大学とアパートの往復で過ぎていった。
狭い行動範囲ながら、勉強や仕事に打ち込んで充実していた。
その日も、教授の部屋でパソコンに向かっていた。
と、ドアからノックの音がした。
来客の取り次ぎも充の仕事だ。
「はい」
ドアを開けると、如何にも「チャラ男」といった風体の学生が立っていた。
ブリーチを繰り返した髪が斑になっており、耳には幾つものピアス、重ね着した服の間からもシルバーアクセがジャラジャラと覗いていた。
「すいません、レポートの提出に来ました」
「どうぞ」
中に通して教授に引き合わせ、充は再び元の作業に戻った。
「こりゃ駄目だ。キミはやる気あるのか? 」
「そんな~、お願いしますよ、教授~」
漏れ聞こえてくる会話から、この学生が単位を落とし、教授の救済措置のレポートを出しに来たらしいと察しがついた。
教授は大きなため息をつくと、充に声を掛けた。
「弥栄君、コーヒーを頼むよ。キミも飲むかね? 」
「あ、はい、頂きます。…ヤサカ? 」
チャラ男学生は暫し充の顔をまじまじと見ていた。
充は怪訝に思いながらも、コーヒーを淹れに立った。
支度する間も、コーヒーを運ぶ時も、チャラ男がずっと視線を外さないので、充は居心地の悪い思いをした。
帰りがけに、チャラ男が話し掛けてきた。
「ヤサカさんって、研究所でもバイトしてる? 」
「…え?はい」
「俺、覚えてない? 前に会った事あるよ? 」
「…はぁ? 」
「名字、何て読むのって聞いたんだけど、忘れた? 」
「……さぁ……」
充は面食らった。
名字の読みを聞かれるのは度々あるし、第一こんな派手な輩に面識は無い。
懐っこく笑い掛けてくるチャラ男の背に、教授の怒声が飛んだ。
「こら、砂田!ナンパしとる場合か! 」
おどけて退散する後ろ姿を見送って、充はふと気付いた。
(あの人、砂田っていうのか。やっぱり知らない人だった)
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