1269人が本棚に入れています
本棚に追加
「まだここだけだ。少し寝坊してしまって……」
「彼女が帰って来るのが遅かったんですか?」
余裕を取り戻したのか、訊いてから須藤は少し笑った。
この後輩には最近プライベートの話もしている。
亮輔に夜の商売をしている彼女が居る事は知っていた。
「まぁ、そうだけど……」
亮輔はその笑顔に応える事なく、苦々しく顔を歪めた。
「沙代子の店のママも事件にあったらしい。でも一連の事件と少し違う。火事だ」
「火事?」
「沙代子も他の従業員も店を早々に閉めて、現場に駆け寄っていたそうだ。
うちに帰ってきたのは8時頃だったかな……」
「そうだったんですね」
須藤は重々しく呟いた。
「別件扱いなんでしょうか」
「一応そういう話だ。異常殺人事件の件数をこれ以上増やされても困るしな」
須藤は、今朝方いつもより遅い時刻に帰宅した恋人の言葉を思い出した。
『今日は急に休むって言ってたの。普段は滅多に休みを取らないのに、何があったんだろうって思ってたんだけど、
まさかあんな事になっちゃうなんて……』
あの元気な沙代子があれほどまで狼狽している様を見たのは初めてだった。
いくら仕事だからといえ、一人で家に残してきた事が心配になりはじめた。
ふと背後から肩を叩かれて亮輔は振り返った。
「おつかれさん。悪いが隣の土谷町の現場に行ってくれないか?須藤、お前もだ」
年配の刑事が白い息を吐きながら低い声で言った。
有無を言わさない強い語気に亮輔はすっと敬礼を向けた。
「わかりました」
「本店からの通達ですか?」
彼の真意が読み取れなかった須藤が訊いた。
「そんな事はいいから早く行ってくれ」
どうやら図星を付かれたようだ。
彼は皺をさらに深くして顔を歪めると、さっと亮輔達の横を通り過ぎて、ブルーシートの方へ向かった。
殺人と聞いた時から亮輔にはこうなる予感はしていたが、それ以上の何かがあるような空気を感じた。
「土谷町は例の火事の方だな。
殺人事件の方は俺達は用済みって事だ。よかったじゃないか」
「いいんですか、そんな大事な所、本店にもっていかれて」
「俺には土谷町の事件の方が合ってるんだよ」
須藤は未練がましく後ろを振り返りながら、先に公園の外に向かいだした亮輔の後を追った。
最初のコメントを投稿しよう!