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「……冗談でしょ?」
不機嫌を隠すことを止めた女が、冷めた口調で尋ねた。しかし女が答えを求めて問いを発したのでないことは、明らかだった。
「本当だよ」
仁史は、静かにとどめをさした。
女は、ハッと嘲るように笑った。
「信じらんない。一体何のためにこんなつまんない男と付き合ったと思うの!?」
仁史は黙って冷えたコーヒーを見つめていた。
「医者じゃなくちゃ意味ないのよ!医者じゃないアンタなんて、価値がないのよ!」
女が吐き捨てた。
仁史はそれを肯定するように口端を歪め、小さな自嘲の息をもらした。
――医者じゃなくちゃ価値がない。
仁史は目を伏せたまま、自身の心で噛み締めるように、その言葉を繰り返した。
「もうアンタとは付き合えない。サヨナラ」
女は冷たく言い放ち、上着とバッグを掴むとソファから立った。
仁史の後ろで、ドアの荒く閉まる音が響いた。
仁史は引き止めなかった。
口紅のついた吸い殻と、男に媚びるような甘ったるい香水の臭いが、部屋に残されていた。
――いつものことだ。
仁史は微動だにせず呟いた。声ではない声で。
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