登城 その2

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このように、本多家が入封されて現在の城下形成がなされた。 《本多家は近江膳所藩の支藩として河内国で分地されたもの》 その支藩が独立した大名として取り立てられ【本多忠統】が伊勢13,000石と旧領3,000石を加えて16,000石で入封さたのだが、 先に書いたように天領になった折に破却されたため、城としての機能を失っていた。(わずかに、陣屋があるだけだったようである) 本来、このような小藩が城主大名を特別に許されることはないのだが、代々の譜代、本多家だったため特別に許された。 現在の神戸城は、この本多家の普請工事で完成をみたことになる。 しかし、この際、天守は造られず、単層櫓、太鼓櫓、大手門等の縄張りの改修が行なわれたようである。 このような変遷を経て、城下町は信孝の代より拡張し現在の町並みに名を残すことになる。
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