登城 その3

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この城にたいしては、そう記録することがないが、近年の発掘調査で解明が楽しみである。 なお、農地化の排水工事の発掘で椀などが出ている。 推察だが、当時はこの場所に城下町があったと思われるが、神戸城と共に街道筋も変わり町並みの移動したのだろう。 神戸氏について 関家を主とする分家の一つ 関家は関盛政が鈴鹿川流域に勢力を伸ばす中で、その子たちを5つに分け、その守りとした。 関五家とされ、主家は関城から鈴鹿峠を、 神戸氏は伊勢別街道を沢城、 鹿伏兎氏が伊賀越えの街道筋の押さえとして鹿伏兎城、 鈴鹿川の支流安楽川に沿う街道安楽峠を峯氏が峯城、 後方の長野家の押さえ後詰として国府城の国府氏 その分家の中でも筆頭格が神戸氏で、経済交通の要を担っていたことから、主家に並ぶ力を持っていたと考えられる。
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