登城 その2

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勢州 神戸城(かんべ) 鈴鹿市神戸本多町 築城 室町(弘治年間) 平城 築城時城主 神戸利盛 鈴鹿市の中心部、神戸高校がその敷地にある。 現在 天守台あとの本丸の一部が残り、整備され公園となっている。 また、その大部分は神戸高校となっており当時の縄張りを知ることは現地ではできない。 この城のアクセスは分かりにくい。 大きな道からすぐってわけにはいかず、住宅街のど真ん中にある。 神戸城には、いろいろな歴史があるが、全てを書き尽くすには、別章をもってするべきだと思うので、さわりだけ 城主の変遷 弘治年間に、鈴鹿郡、河曲郡を主の所領としていた関氏の分家、神戸氏の城として、沢城から本城を移すために築城 その後、永禄11年 織田信長の伊勢攻略の折に、和議を結び、織田信孝を養子に迎え、関一族の神戸氏としてはここで城主が織田家にかわることになる。ただし、これは織田家がはじめのことではなく、当時はこうした婚姻関係が多く結ばれていたのでここを絶とするには、疑問符が残る。 事実、神戸氏は北畠材親の子を嫡子として養子に迎え、北畠家臣団に加わってる時期がある。 これらについては、別にしよう。 その後は、信長の伊勢攻略が成り、信長の家臣団(一門)としてこの地を治める。image=318856587.jpg
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