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しかし、天正10年に本能寺の変により、事態が一変する。
周知の通り、明智光秀を討った秀吉により、清洲会議で家督争いに発展すると、信孝は神戸城から岐阜城に拠点を移した。
そのときの城主 信孝家臣
【小島兵部】
その後、織田家の家督争いの合戦、信孝を担ぐ【柴田勝家】【滝川一益】と【羽柴秀吉】、【織田信雄】の連合軍の戦いに発展する。
しかし、武運拙く、この連合が破れ、信孝は知多半島で散る。
その際は、信雄の家臣【林与五郎】が【小島兵部】を討ち、城主となる。
が、天正12年
信雄と秀吉の不和により小牧・長久手の合戦にいたる。
と、織田家の家督争いに翻弄されめまぐるしく城主が変わる。
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