せめて、人の人による人のために

3/9
前へ
/271ページ
次へ
「しばらく、祈りたい。時間をもらって良いだろうか?」 「構いませんよ。荷物はいかがいたしますか?」 「そこに置いておいてくれて構わない。そういうわけにも行かないのだろうが、粗相を働くつもりは無いので、構えなくても、良い」 わかっていた。過去の、こんな風に彷徨える者達が、この場で粗相をしでかしたことは、一度も無い。 張り付けにされた男の彫像は、ただそこにあるだけで、一切合切の悪事を、抑止する。 「では、せめてこちらでお預かりしておきましょう。己が物品を、地べたに投げ出すものではありませんよ」 「それに触るな」 ガチョリ、と音を鳴らすリュックを持ち上げるのと、黒の男がそれを呟いたのは、同時だった。 「それに、触るな」 「……これは、失礼をいたしました。大事な物でしたか」 命だ、と黒の男が言った。そうなのだろう。 「とはいうものの……さて、困りましたな」 「そこに置いておいてくれて構わないと言っているだろう。言葉がわからないのか?」 「いいえ、そうではありません」 やはり、神父はリュックを持ち上げると、男の目の前にまで持って来る。 「触るな、と言った」 イライラはしていなかった。ただ、この時になってようやく、黒の男は神父を見た。 澄んだ、瞳だった。澄んでいるだけに、そのギラギラと光る輝きが、鋭い目蓋と合わさって、尚更に威圧を醸し出す。 神父が今まで見てきた罪人の中では、比較的美しい部類に入る瞳だった。整形は、”まだ”していないのだろう。 「主は、このような物騒な物を好みません。私は気にはしませんがね」 目蓋が、上がった。瞳孔が膨れ上がるのが、目に見えて判る。 「こんな深夜に、全身黒ずくめの、背の高い男が、金属音のするリュックを鳴らして、懺悔に赴く」 神父は、終始黒の男を見つめていた。黒の男は、驚くでも激昂するでも無かった。ただ、再び張り付けの男に向き直ると、やはり跪いた。 「私は、そんな光景に、ちょっとした夢を見てしまうのですよ」 「そうか。夢は、夢なのだろうな」 律儀にも、黒の男は返答した。 男は、殺し屋だった。 リュックの中身は、分解した狙撃銃である。
/271ページ

最初のコメントを投稿しよう!

208人が本棚に入れています
本棚に追加