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「あ……熱いぜ……俺のツイスターも熱く燃えてるぜ……」
蝉達がミンミンと煩い中を、彼は愛機ツイスター(安物の自転車に見えなくもない)を漕いでいた。
乗り手の呟きに答えるように、ツイスターはキィコ、キィコ、と軋む音を立てる。
大学生活を始めた頃から乗り続けている、彼の相棒だ。
チェーンが緩んでいるのか、先程も蝉達のシュプレヒコールの中、遠慮のかけらすら見せずに外れたばかりだった。
青年は蝉の体当たり攻撃に耐えながら、チェーンを嵌め直す。
「うぉっ! おぉっ! 俺はヤル気に満ち溢れているッ!」
口を突いて出る言葉とは裏腹に、彼の顔には玉のような汗が浮かんでおり、ペダルを漕ぐ足もおぼつかない。
流行の冷感仕様でもウォッシャブル仕様でもない安物のスーツは、汗でビショビショに濡れている。
彼が向かうのは冷房の効きが今一つのお役所。
非常勤職の面接会場だ。
……ヒーローは無職だった。
住所不定の称号授与式も控えている身である。
栄えある夢追人の肩書きを手に入れたのは、ほんの数日前の事。
たったの三ヶ月の勤務で、会社をクビになったばかりであった。
世の中、ヤル気だけではどうにもならない事もある。
今しも大国の呷りを受けて始まった不況が、まさにそうだ。
彼の就職活動には、アメリカ帰りの「凶悪怪人・不況男」が敢然と立ちはだかっていた。
地に足が着いた大学時代の仲間達は、安定株である公務員職に向けての勉強をコツコツと行い、その努力は報われた。
今や彼らは、様々なお役所で働いている。
青年は流行の波に乗り損ねた、落伍者であった。
その後はピンチこそチャンスとばかりに、気を吐いている民間企業を求めて面接を繰り返す日々。
「ヤル気のある人材求む!」と、様々なメディアでPRしている大企業には縁が無かったという離縁状を、彼は下駄箱に入りきらない位の数で受け取っていた。
「僕はこの会社のヒーローに成りますッ!」
結局、彼は面接で唾を吐き散らしてヤル気のPRに成功し、威勢の良さだけで名前も聞き覚えの無い小さな会社に内定する。
友人達は皆もっと有望な務め先を探せと止めたが、「君には期待している」的な旨のラブレターを生まれて初めて貰った彼は、すっかり舞い上がっていたのだ。
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