レンズに映るもの

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 新しく買ったばかりの一軒家を離れることになったのは、単純に仕事の都合によるものだった。  大手企業の中堅社員であった正紀は、新設される支社の暫定的な監督役として抜擢され、一年という期間を県外で過ごすことになった。  妻と生後一歳になる息子は、正紀と一緒に大企業が用意した社宅に移り住むことになり、必然的に残された新居には無人となってしまう。もともと新居は、母を亡くして実家に独り残された父を招くために建てた物で、一年間空き家にしておくのももったいないという理由から、先に実家の父には新居に移り住んでもらっていた。  いまは、その新居に向かう車内。  正紀は会社から数日の休暇をもらい、禄(ろく)に満喫していない新居に向かう最中だった。  実のところ完成後に一度だけ視察したきりで、新居を訪れるのはこれで二度目になる。  新しい生活の場になるはずなのに、実感がない、というのが正直な正紀の感想だった。おそらくそれは妻も同じだろう。 「ねえ、あなた。お義父さんの様子はどうだった」 「ああ、思ってより元気そうだったよ」  妻の藤乃が眠った息子を起こさないように、控えめなトーンで話し掛けてくる。それにバックミラーを一瞥して答えると、「そう」とだけ彼女は答えた。 「お義父さん、沈んでたみたいだから元気そうならよかったわ」  母が癌(がん)で帰らぬ人になったのは一年前のことだ。せめて明るい話題を持ち込もうと無理して新居を建てたものの、栄転という形で長い間生家を離れることになったのは、病中の世話を任せきりだった父に申し訳ない気持ちがある。  こたびの帰郷も、妻への建前では新居の視察だが、もっとも大きな理由は父に対する慚愧(ざんき)の年が背中を押したからだ。 「オヤジ、元気にしてるかな」 「……」  独白した言葉に、妻は何も言わなかった。  妻と父は反りが合わず、反目こそしてないものの、決して仲が良いとは言えない。先の言葉も父を気遣ってというより、正紀に対する一応の礼儀のような物だ。あと半年もすれば一緒に暮らすというのに、先が思いやられて仕方がない。
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