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「あー、また一人でビール飲んでる。私にも頂戴よ」
疑問に思う間もなく、廊下から妻が姿を現して正紀を見咎めると、ビールを奪い取って勝手に飲み始める。遠慮のない妻だった。
「なあ、いま廊下になにかいなかったか?」
「何かってなによ?」
「いや、それが分からんから聞いてるんだ」
「何もいないわよ。何いってんの」
ビールを片手にからからと妻が笑う。もちろん、何もいるはずがない。鍵はかけたし、何かが廊下にいたならば妻が見つけないはずはない。
「そう、だよな」
「疲れてるんでしょ?」
何気ない言葉をかけられ、そうなのだろうと納得する。ここのところ働き詰めだったので、それが原因かも知れない。
「少し横になったら?夕食できたら呼ぶから」
「あ、ああ。そうする」
どうにも不可解な心持ちで、居間のソファーに背を預ける。居間から見える庭に続くガラス戸にはカーテンがかかっていた。たしか、庭にも監視カメラを設置していたはずだ。
よくよく耳を澄ませば微かに、ぎゅん――ぎゅん――と電動ネジ回し機のようなカメラの移動音がしている。風で揺れた雑草に、動体センサーを搭載した監視カメラが反応して音を立てているのだろう。
雑草を刈っておかないと電力が馬鹿にならないな。
そんな事を考えていると、次第に意識に靄(もや)がかかってくる。
横になって目を閉じると、黒いベールが正紀の世界を閉ざす。それでも考えることはいくつもあった。
仕事のこと、育児のこと、妻と父との不和。どれもが取り留めもなく、浮かんでは消える泡のようで考えがまとまりはしない。どうやら本当に疲れていたようだった。
少しだけ寝よう。と結論付けて徐々に霞んでいく思いを放棄すると、ゆっくりと意識が――
チャッ、チャッ、チャッ
眠りにつく直前に、そんな音が耳に飛び込んできた。
「……?なんの音だ、いまの」
沈みかけた意識が覚醒し、目を開けて周りを見渡す。
チャッ、チャッ、チャッ
その音はソファーの後ろの方から聞こえているようだった。身を起こしてソファーの後ろに目を向ける。
――なにもない。あるのは磨りガラスが張られた扉だけ。
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