美咲の章:1.それだけのこと

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「あの、ごめん、遅れて」 とりあえず動揺を隠して謝る。 時間稼ぎ。 「ん、いや、あれ、翔は?」 直君が私の後ろをのぞき込む。 「翔君は香奈と帰った・・・と思う」 「なんだ、立ち合うとか言ってたのに」 立ち合うって出産かよ。 落ち着きを払うために、心の中で突っ込みを入れてみる。 「で?」 言葉が見つからず、文字通り右往左往している私に直君が促す。 「えっと・・・」 頭が熱い。 「夕方の屋上、男女二人。その心は?」 初めて話したも同然なのに、直君の口調にはからかいの表情が見えた。 私はそれでヤケになった。 親しくもないのに親しげにしてくる男は嫌い。 もうフラれたってかまわない。 私は気楽になって、勢いに任せて言った。 「好きです。付き合って下さい!」 なんのひねりもない、よく聞く言葉。 そして、次には、これまたなんのひねりもない言葉が返ってくるはず。 へらへら笑いながら、ごめん、という返事。 この手の男はそうなんだ。 「いいよ」 どんな感じで帰ろう。 なんかムカツクから、この告白は罰ゲームだと言ってやろうか。 今度は、そんなことで頭がいっぱいだった私は、その言葉にすぐに反応ができなかった。 危うく、どうして?と、立場違いなことまで聞きそうになったくらい。 きょとんとしている私に、直君が手を差し出してきた。 「よろしく」 こうして、私と直君は「カップル」になった。
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