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元々、土佐の国は長宗我部家が治める土地だった。それが関ヶ原の戦いで西軍に属した為、戦後その領地は没収され、代わって国入りしたのが山内家である。
新しい土佐の国主となった山内一豊は、長宗我部の旧臣を抑える為に厳しい身分制度を設けた。
譜代の家臣を上士、長宗我部の旧臣を下士と定め格差を徹底したのである。勿論、上士は様々な点で優遇され、下士は全てにおいて贅沢が認められなかった。
暑い日も日傘は許されず、雨の日も裸足に草履、衣服も木綿など質素で粗末な物しかまとう事が許されない。そうして下士は、冷遇され続けたのだ。
龍馬の身分である郷士は、下士では一番上の身分で騎乗も許されてはいたが、所詮は下士である。登城はおろか、政に参加する事すら許されてはいなかった。
要するに土佐では、下士は侍として認められてはいないのだ。
その上、上士には無礼討ちが許されていた。無礼討ちを行うのも上士次第なのである。龍馬達郷士からすれば、何とも理不尽な決まり事と言えた
そんな差別が、この土佐で二百六十年以上もの長きに渡り、未だ続いている。
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