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しかし、長兵衛の思いをよそに幸はその後も次の子が欲しいと願い続けた。そんな願いが天に通じたのか、今また新しい命を彼女は授かる事が出来たのだ。
「元気に生まれて来ぃや」
そう言って、幸は嬉しそうに、ゆっくりと優しくお腹を撫でながら笑った。そんな妻の姿を見ていると、長兵衛も嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。
小春日和の暖かな陽射しが部屋に差し込み、二人を優しく包み込む。幸の笑顔が、その日差しにキラキラと照らされ輝いていた。
それから数日後、一人の男児が産声を上げる。
時は天保六(一八三五)年十一月十五日──
坂本家にとって、嫡男の権平直方以来、実に二十一年ぶりの男児誕生だった。長兵衛は、この男児の誕生を大いに喜ぶ。
ところがである。喜んだのも束の間、長兵衛はすぐ様、赤ん坊の姿に驚愕する。
「何ぜよ?妙ちくりんな子らぁ産まれて来よった…」
長兵衛が嘆くのも、無理からぬ事だった。その子の頭髪は、呆れる程に縮れ、背中には奇妙にも、うっすらと鬣(たてがみ)らしき毛まで生えていたのだ。
赤子の誕生を待ち詫びていた家族が、一斉にのぞき込む。
「ち、父上、背中に毛が生えちゅう…」
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