プロローグ

6/10
前へ
/139ページ
次へ
店の扉を閉めた後のカランカラン、という鈴の音がやけに耳に残っている。 やはり離れがたいのだろうか。 思っていたよりも自分はあの場所を、あの空間を気に入っていたようだ。 そう実感したら少しだけ寂しくなった。 失ってから気付くものもあるのだと、少しだけ学習した。 経験値が3くらい上がった。 俺はうじうじするのだとか、シリアスなのが苦手だ、というか大の嫌いだ。 映画とかのシリアス物の作品などは十分心に染みるのだが、自分が不幸。自分だけが恵まれていないだとか考える人間が一番嫌いだ。 そういう自分もそんな状態に陥ろうとしていたことを不快に思う。 さて、マスターに迷惑ばかり掛けられないから、と携帯を取り出す。 一応、世話になったわけだ。 マスターの人柄も気に入ってはいた。なんたって俺の気に入ったあの店のマスターだ。 気に入らないはずがなかった。 いくら最凶鬼畜眼鏡でも、ただでさえ苦労していそうなのにこれ以上に悪化してしまえば大変だ。 …いや、本当はそうしてしまった原因が自分にあるということに恐怖を抱く。 もう手遅れだなんて思っちゃ駄目だ。 あの人は怒らせちゃダメ、絶対。 「…こんなこと考えている間にも寒気が…とっとと電話しちまおう」 プププ、と呼び出し音が鳴り出し、それに耳を傾ける。すると音が途切れて低いテノールの心地良い声が呼びかけてくる。 「あ、もしー」 『……何だ、珍しいじゃねぇか。お前から電話なんて』 訝しげな相手に少し笑みを零す。しかしどう話そうかと思考を巡らせ、その後の相手の反応まで想像すると苦笑いになってしまう。 「んあ、アレだ…」 『ンだよ。くだらねぇこと言いやがったらぶん殴る』 「地元離れるのって、くだらねぇことか?」 『……………』 沈黙。 息を呑む様子もないのはどうしてか。 動揺している様子がないのはどうしてか。 別にどうでもいいと考えているからか。…いや、そんなはずはない、絶対に。自惚れているわけではないが俺が連中の中でも一番絡んでいた相手がこの男なのだ。仲が良かった―という表現は気恥ずかしいというよりも気色悪いというか、しかし何かが通じ合っていた。そんな気がする。 勘の良い男だ、これ位のことは予想していたのだろう。 …いや、でも流石に凄すぎないか?それは。 俺が葛藤している間中、相手も無言だったが、言葉を発する空気が電話越しでも伝わって再び耳を傾けた。
/139ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7362人が本棚に入れています
本棚に追加