正義 ―憧憬少女―

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別にパンを焼くことが嫌いになったわけじゃない。そこまでの充実感はなくても、やるべきことだと理解はしている。 しかし、このまま小麦粉を焼いた塊の奴なんかと一生一緒にいるつもりだってない。 この国の人はみんな良い人だ。お城の事情は知らないが、まあ困ったこともそうそう無い。 平和。とても平和なものだと思う。 しかし何も起きない。何も起きなければパンを焼く。何も起きなければパンを並べ、何も起きなければパンをお客さんに包む。 何だ? この世界にはパンとわたししかいないのか? 我が儘なのかもしれない。しかしわたしは、アルモニカ・ソレイユという人間は“刺激”という日々を求めていた。 「アルモニカ!?」 「聞こえてる!」 厨房から急かしてくる母親の声に苛立たしげに応える。 わたしの頬が焼きあがるパンのように膨れ上がってきた辺りで、店の扉が開かれる鈴の音が鳴った。 「いらっしゃいませ~」 倦怠感丸出しの接客。作り笑いどこらか顔をあげさえしないわたしの態度に、高齢者のお客だったら怒声の1つも飛んできただろう。しかしこんな接客にも、このお客は文句の“も”の字も言わない。 顔をあげて、わたしは納得した。 薄汚れた茶色いコートに、だらしなく伸びたシャツ。貧相な身なりをした彼の名はツィター。 たしか職業は童話作家……でもあり、動植物の生態に関する学者。それと異世界論を主張人物でもある。 なんでも、世界というのは此処一つではなく、まったく別の世界があるらしい。 違う世界とはどういった世界なのか。 絵本みたいに囚(とら)われのお姫さまを救う為に竜と戦う王子さまがいるとか? もしかしたら妖精や小人の世界かもしれない! ――――と、幼い頃のわたしは胸を踊らせながらツィターの話を聞いていたものだ。 だが、今となっては彼の話は全部妄言にしか聞こえない。 先ほど彼の身なりについて述べたが、それに加えてボサボサに伸びた灰色の髪に無精(ぶしょう)髭。 年齢もそろそろ30になろうという大人が『他にも世界があるんだー』なんて、言葉はあれだが、危ない人にしか思えない。 よって、わたしが14の時から今に至る約2年間。ツィターと話す機会はわたし自身が避けていた。 会うことがあるとすれば、彼がこうしてパンを食べに来たときぐらいだ。
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