自爆事故

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 18歳で車の免許を取り、その一年後のこと。私は電柱に車をぶつけ自爆した。幸い怪我はあまりせずに済んだが、電柱の弁償が100万に、車の修理が120万かかってしまった。その時一番に駆け付けてきてくれたのが祖父だった。  しかし、それからが地獄の始まりみたいなものだった。親戚中で私の事故は一番ひどいと会えば必ず笑い話のように言われ、それは一年くらい続いた。私はそれが辛くて仕方なかった。 心療内科に通うようになったきっかけはそれである。その後も祖父は笑い話のように言ってきた。私が精神安定剤を服用しているとも知らずに。  私は思い切って祖父に打ち明けた。もう我慢の限界だったからだ。祖父には私の症状と通院中の状態を話した。  すると祖父からとんでもない一言が返ってきた。 "キチガイだっぺな"  いくらなんでもこれには私も爆発してしまい、その場で泣きながら薬をばらまいた。帰宅してから両親に泣きながら状況を説明した。さすがの両親も祖父の発言には驚いていたが、私が祖父に感情を現にしたのがよかったのか、それから祖父の私に対するひどい発言はおさまった。
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