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私は身体を枝に休めたまま空を見上げた。東京の空は私達からすればいつでも明るい。 人間達は自分たちの為に幾つもの太陽を持ち、私達が寝静まっているこんな真夜中でも 活動を続けるのだというが、ならば彼らは何時眠り、何時餌を探すというのだろうか?
オスの個体が黒い衣を身に纏ってどこへともなく消えてゆくのは良く見かける。 大きくて四角い箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれる人間の群れは、私達の過密なねぐら を見るようで、同情に値する。きっと彼らは押しつぶされながらも、己の行く末や 群れのトップになることを願って思い悩むのだろう。なんと可哀想なことだろうか。
しかも圧迫され眠い眼をこすりながら遠いたびをしても、彼らオスの個体が餌を ぶら下げてくることはほとんどない、むしろメスの個体のほうが食物をねぐらに 持ち帰っているようなのだ。では一体オスの個体が遠くに旅に出るのは、一体何を求めての事なのだろう?私が聞いた話から総合すると、彼らは 己をねぐらを守るための戦いに出かけているというのが正しそうだ。
私達は翼と嘴を使って己の縄張りを守るが、彼らは鳴き声で以って戦うのだ。成る程、強いオスが家族を守りメスが子に与える餌を探す完全分業体制は生存競争において中々有効なものであろうとは思う。
しかし、しかしだ。 もはや天敵の存在しない人間達は一体何からねぐらを、家族を守っていると いうのだろう? 私達の良き隣人である人間達は、同時に幾ら考えを巡らせようとも理解できぬ異質な存在である。思うに彼らは私達のような鳥類とは身体構造はもちろんの事 精神構造も大きく異なっているのだろう。
種の保存という観点から見れば、守るべき 己の生命を断つという行為は、愚か極まりないモノである。が、それでも 人間は己を責め苛み自ら命を絶ってゆく。不可解に過ぎる。
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