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身を切る寒さの、師走。人間達は言う「毛皮を、羽毛を持つ動物達は幸せだなぁ」。彼らは知らないのだ、幾ら私達が黒々と光る羽毛を身に湛えているとしても、寒いものは寒い、ということを。
肌に殆ど毛を持たない人間は代わりに洋服を纏う事で体温を下げないよう努力している、或いは火を起こし熱を部屋の中に閉じ込めて冬を乗り切る。その知恵や環境も含めて、人間は一つの生き物だ。
私達は違う。明治神宮の、或いは新宿御苑の、或いは自然教育園の木々の茂る枝の陰で、体をちぢ込めて、薄汚れた羽毛の中で、己の小さな体を震わせているのだ。他に身に纏うものは無い、体を温める道具も無い、己の体一つで生きていく以外に無いのだ、私達は。
私達は人間と比べて非常にお粗末な脳のつくりをしている。脳の容積が知性の奥深さを決めるものなのかどうか詳しくは知らないが、我々のこの小さな頭蓋に収納された脳みそは人間の十分の一にも満たない。
人間が我々を「賢い」というのは何と比較してのことなのだろうと、何時も疑問に思う。人間と意思疎通を図る事が出来様々な芸をこなす犬や、誰にも教わらずに美しい幾何学模様の巣を作り上げる蜘蛛は「賢く」は無いのだろうか?兎も角そんな風に脳みその小さな私だから、勿論私自身何故このような暮らしをしているのか想像も付かないし、想像しようと思ったことも無い。何時の間にやら黒い羽を纏い何時の間にやら東京に住み着き何時の間にやら路上のゴミ袋を漁っていた。
人間の大きな脳みそは、ただ生命活動を維持するためには大きすぎるので、余った力を己を苦しめるために使うことが多いという。己を苦しめる為に答えの出ない問いを自身に発してそれについて一人悶々と延々と悩み続けるのだ(ex.宇宙は有限か無限か)。
全く贅沢なことだと私は思う。暇つぶしに苦しみを味わうとは、日々生きることで精一杯な私達とは一線を隔している。多くの人間は宗教というシステムや科学という得体の知れない知識によって取りあえずの答えを見つける。が、それに満足できなかった者は生涯をその暇つぶしに費やし、遂には己の命を断つものもいるのだという。
…時折私は思うのだ「本当に、人間に生まれなくて良かった」と。
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