リーダーについてその二

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 人間はその他大勢になる事を、それこそ死ぬほど嫌がるという。それは勿論私には理解し難いことだ、数多くのフォロワーを生むほどの事を成すには、天から与えられた優れた性質が不可欠である。 私達が付き従う彼には、どんなに遠くからでもゴミ袋の奥に隠れた餌を見つけ出す優れた目と、遠く速く飛ぶことの出来る翼がある。更に言えば多少の事には驚かない胆力も、病や体力の衰えをものともしない頑健な身体もある。彼は成るべくしてリーダーに成ったのだ。 努力だとか迷いだとか、人間が抱える葛藤は彼には存在しない。ただ己の本能に従って生きる、それだけで彼にとっては充分なのだ。  ただ生きる。生きていられることに満足する。それはリーダーたる素質を持った彼にだけ許された特権ではない。私達のような日々の餌に困窮する、凡庸なカラス達もその満足感を十二分に味わっている。 私達は葛藤しない、幸せな未来などという幻想を抱きはしない。ただ餌にありつく事ができたかどうか、一日飛び回った羽を充分に休めることが出来たかどうか、出来たか出来ないか、0と1の間を飛び回る事の他に、喜びも悲しみもありはしない。 ある種の哺乳類のオスは、群れのリーダーに成り損ねるとすさまじいストレスを感じるのだという。何故同種の個体間で恒久的な格差を作る必要があるのか?私達は餌を食う順番を定めたりはしない。早くたどり着いたものが、満足するまでゴミ袋をついばむ権利がある。多く喰らえるかどうかは己の身体一つにかかっている、全く公平ではないか。  彼が身じろぎ一つしなかったのを見て、私をはじめ多くのカラス達は安堵した。イレギュラーな起床の鳴き声を真に受ける必要はなかったのだ、まだ休むことが出来る。あちこちの木から眼を覚ましてしまったカラス達の恨み節が聞こえてくる。 原因となった若鳥は既にどこかに向けて飛び立ってしまったようだった。木々の間にこだまする鳴き声は少しずつ治まり、再び静寂が森を包み込んだ。
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