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――必ず帰って来てくださいませ――
女は涙を流しながらかろうじて笑った。
男は必ずと、堅く約束した。
戦に旅立つ男に、女は何ができただろうか。ただ帰ってくるまで家を守り、心中で無事を祈ることしか――
二人の間に子はいなかった。だから女は一人孤独に怯え、夜の月明りの中、涙を流し愛しい夫の名前を呼ぶ。しかしその声は空しく闇に消えてゆくだけだった。
――どうか生きて帰ってきて――
女は何度も何度もその言葉を言い続けた。
二人はとても幸せに暮らしていた。決して裕福とは言えなかったが、それでも近くには親兄弟がいて……。
畑仕事が辛くても、寒さに手がかじかんでも、それでもとても幸せだった。
男が家を出てから、女は毎日のように夢を見るようになっていた。その夢には必ず夫が出て来る。
ある日は、笑顔で自分を見てくれる姿。
ある日は、旅立つ時にきつく結んだ約束の顔。
そしてある日は、戦場で朽ち果ててゆく死姿……
女にはどの夢も悲しく、涙で裾を濡らさぬ日はなかった。
それから月日は経ち、風の知らせから戦が終わったと女の耳に入った。
――あぁ…帰ってくる…愛しいあの人がやっと…
しかし何日過ぎても一向に男は帰ってこない。明日は帰ってくる。明日は帰ってくる。
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