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紫陽花(あじさい)の 移りゆく木の雨しずく 我が身に落つる 梅雨の雨空(あまそら)――
泰久はぼそりと呟いた。文机に片肘をのせ、その視線は庭に向けてはいるものの、別段どこを見ている訳ではない。
「……酷い歌ですね」
泰久の部屋に一人の青年が現われた。青味が掛かった黒髪は短く、うなじを見せている。
「木深(このみ)かい?今のは適当に作ったものだ。早く忘れてくれ……」
「どうせ退屈だとでも言いたいのでしょう?」
音を立てずに泰久の側へ控える。木深は先程の歌を「紫陽花の花の色のように、自分の心は定まらぬほど退屈でつまらない。雨の空の様に心が冴えないよ」と解釈を取った。あくまで、木深の推測ではあるが間違ってはいない。その証拠に泰久は長い溜め息をついていた。
「元服を無事にすませ、今日はいよいよ初めての参内となられるのに、その様な振る舞いで大丈夫なのですか?」
「いつもの様にしていれば大丈夫だよ。体裁を取り繕っていれば何とかなるものさ」
それに――と、泰久は木深に向かい合う。
「己を出しすぎては生きてはゆけぬ。それが人の世というものだよ」
「……人の世とは住み辛いものですね」
泰久は木深の言葉にふっと笑ってみせた。
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