にがうるか

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合羽橋近くの路地。 ラブホテルや風俗店、 定食屋や酒場の赤提灯。 「金曜日なのに、静かだね」 カウンター7席、 小上がり4席。 四半世紀女ひとりの商い。 白板にメニュー。 目刺。しらすおろし。身欠にしん。もずく。ぬた。 うど。ぜんまい煮。蜆汁。じゃこ焼飯。 「昨夜もこんなだったの。10時すぎたらいっぱいになっちゃって」 小上がりは荷物置き状態なので満席でも7人。 今は客ひとり。 「地下鉄に乗って、ふと前見ると親父がいるんだよ。 と思ったら、窓に映った俺なのよ。老けたもんだ」 「うるかお好きですか」 「うん大好き。俺、今年、親父の死んだ年になるんだ。親父、髪真っ白でさ、爺さんみたいだったけど、まだ58だったんだなあ」 「球磨川のです。九州。あたしこれあつあつのごはんにまぶすと、いくらでもいけちゃうんですよ。けどもったいないからあまりできない」 「ん、なにこれ?」 「にがうるか」 鮎の内臓の塩辛。 「うるかってこんな苦かった?」 「大好きだって言ったくせに」 「だってこれ、クチすぼまるよ」 ほんの少量で、口の中の景色が一変する。 味覚のワープだ。 さわやかな刺激を伴う深い苦さと渋さは、 舌を筋肉の塊だと自覚させる。 清流の川底の岩につく藻のみを食む、 天然落ち鮎のはらわた。 若鮎は砂を噛むので、うるかには適さないという。 急流と闘い、餌場で闘い、産卵時まで闘った、苦渋の物語。 うるかは川の生命力の凝縮だ。 「焼酎にしますか。合いますよ」 「いや。このあいだ検査結果悪かったんで。ちょっとやめとこう」 引き戸が開いて風が入る。 「あ、フミちゃん、おみやげ。そこで、おでん買ってきた。 やっ、こんばんわ。サトーさんもどーぞ」 「いらっしゃい。リュウちゃんいつもごちそうさま。ありがとう」 「うちの息子、雷門で人力車のバイトはじめたんだ。 そしたらモテモテなんだってさ。逆ナンパだとさ。 それがハンパじゃねえんだ。いいな、ちくしょう。 俺も人力引こうかな。サトーさんもやらないか」 「サトーさん、おでん、なにがいいですか。いただきましょ」 「じゃ、はんぺん、だいこん」 「俺、がんも、ちくわぶ、焼酎」 「リュウちゃん、うるか好き?」 「大好き、ちょうだい」 「ふふっ。ほんとかなあ」
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