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丕の臓腑が縮みあがった。植の反抗に、父が激高することを恐れた。
愛されることになれた弟の精神が薄氷のように脆いことを、丕はだれよりも心得ている。獰猛な怒りに蹂躙されたとしたら、おそらく二度とは立ち直れまい。
心傷とともに現身(うつそみ)は砕け、命は儚くなるだろう。
そんなことは、丕には耐えられない。
植の存在しない世など、植が忍んでこない寝間など、植の肌が自分へと触れてこない夜など、考えられない。
父の悪意に侵蝕しつくされるのは、自分だけで十分だった。植のためならば、どんな逆罪も厭わない。
父の無防備な脇腹へ目をやる。
刃の手触りを求める手のひらへ、汗が滲んだ。
あのとき、父が植を許さなかったらとしたら、自分は父を刺していただろうか。
丕は、弟をきつく抱いた。白く細い喉を吸い、赤い痣をつける。唾液と汗に湿った肌は、月影にさらされ、ぬめぬめと光る。
今後、自分に対するのと同じ陰湿な仕打ちが、弟へも行われることがあったとしたら。
父の放恣(ほうし)にもてあそばれる植の姿がおもい描かれる。
丕の眉間が険しく皺められた。
刻は深更に至り、夜風は冷気を増しつつあった。濡れた肌には毒になる。汗にまみれた衣は、館へ着いたらすぐに替えてやらねばならない。
「父上のおこころがわかりません」
「ならば死ね」
かえてやる。
おまえのためならば。
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