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「父上のおこころがわかりません」
「ならば死ね」
そんな夢をみるのは、いつからだったか。
曹丕は、胸へもたれかかる曹植の肩を抱いた。
鳥獣の文様が縫い出された襟へ鼻をすりつけながら、弟は眠っている。
夜気が冷える。白絹の衫(さん)。肌蹴てあらわになった細い鎖骨を、大袖で覆ってやる。
朱塗りの馬車は庭園を走る。
車には蓋(おおい)がかかっているが、西の山際へかかった明月が斜めに射し込んで、視界に困ることはない。
髪は飄飄(ひょうひょう)と夜風に遊ぶ。植の冠はずり落ち、髻(もとどり)も解けて、ふしだらなふうに見える。額にかかった毛先が、ぐっしょりと濡れて粘りつくようだ。鼻を近づけて嗅いでみるが、汗のにおいはまるでしない。
丕は瞼をとじる。
暗やみ。
近ごろ、折りに触れて向けられる父の冷淡な目に、丕は気づいていた。いつからのことなのかはっきりとはしないが、半年ほど前に、自分が妻を娶ってからだったとおもう。
陰湿な父の眼差しは、兎の毛を毟るさまに似て、じわじわと丕を苛んだ。
後継ぎとして迷いなく丕を指名しておきながら、今では、その座を剥奪しようとしている。
冷遇される心あたりはない。
丕は混乱した。だた、自分にはわずかな瑕疵(かし)さえ許されないということだけを悟った。
爾来、丕は、襟をくつろげることすら謹しむようになった。
嗣子(しし)として完璧に振舞えば振舞うだけ、父の眼光は厳しさを増す。やがて、息子が間違いを犯すことがないと知った父は、丕の性根が冷酷だと零すようになった。
丕は、文人たちと激しい議論を交わすよう努めた。文学に熱心な振りをした。熱い血がかよっていることを示してみせた。
厳しい目。気の抜けない日日がつづく。
おそらく、父が死ぬまでは。
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