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「捨てられてから暫くして、あたしは兄上と逸れてしまったの。あの日からずっと兄上を捜しているけど……顔も名前も思い出せないの」
幼かったからなのか、余りにも衝撃的過ぎたからなのか、分からないけど、と言う琴音に綾菜は何も言えなかった。
「この簪だけが、手掛かりなの」
綺麗な黒髪に輝く桃色の簪。
お金に困った時でも、決して売らなかった大切な物。
でも其れを見詰める眼差しは、酷く寂し気だった。
そして静かに涙を流しているのだ。
声を出さずに泣く姿は、余りにも儚いものだった。居た堪らなくなった綾菜が、ぎゅっと抱き締めれば、幼子のように泣き出す琴音。
其の声を、悠助と勒七は部屋の外で聞いていた。
襖に背中を向けて胡坐をかき、お互いに顔を見るなんてことも、中を覗こうなんてこともしなかった。
「わっちらに兄を重ねていたのかねえ……」
「十中八九そうだろうな」
思い出されるのは初めて会った時の事。
二人は其限、声を立てることはなかった。
耳に入り込む泣涕(きゅうてい)の音に、塞いでしまいたいと叫ぶ手をぎゅっと握り締める。
――夜はまだ明けなかった。
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