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これにより、連合軍の追撃作戦は中止を余儀なくされる。
また、これ以降両軍の軍事衝突は散発的なものとなる。
アシュレイはオマーンを経由してアメリカに逃れ、UAE臨時政府樹立を標榜した。
4月15日、国際連合の調査チームが現地入りしようとするも、余りに放射能汚染が酷い為断念される。
アメリカ国内では、先の核兵器使用により多数の犠牲者が出たことにより、反戦気運が高まっており、厭戦ムードが漂っていた。
また、連合軍の戦力も先の核により、多大な損害を受けていた。
これにより、事態は急速に収束へと向かうこととなる。
4月17日、連合軍と同盟軍との間で停戦協定が結ばれる。
4月25日からロシアの仲介により、モスクワで講和会議が開始される。
双方共に敗戦を認めず、交渉は難航したが、5月27日にボルツマン条約が締結され、終戦が宣言された。
ボルツマン条約では以下の事項などが定められた。
・アメリカはUAE暫定政府に今後一切干渉しない
・アメリカは旧UAE首脳陣を同盟軍に引き渡すこと
・アメリカはUAE領内に保持していた油田の利権を放棄する
この様に、アメリカ側が不利な条件を認め、実質的にアメリカ合衆国は敗戦したこととなる。
しかし、前述の通りアシュレイの核兵器使用と云う暴挙により多数のアメリカ兵が戦死し、アメリカ人に著しい反UAE感情を植え付けることとなる。
その為、アメリカは直ちにアシュレイを同盟軍に引き渡し、国内に散らばる旧UAE残党の暗殺を開始する。
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