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【東京連合から関東連合へ】 都内だけではなく他県にも支部が出来始めたことから昭和40年代後半に東京連合を脱退。 「紅」単体で関東連合を結成する。 東京から他六県に飛び火した勢いは止まることを知らず、警察の調べでは2000人を超したという報告もあった。 隔月での全体集会では東、北関東地区、23区の本部地区が品川区の大井埠頭に集合。その後、合流を繰り返しながら環七通りを北上し世田谷区から神奈川県へ抜け16号線、1号線を通り出発地点の大井埠頭へ戻るルートだった。 途中、三多摩、神奈川地区との合流地点である狛江市の狛江三叉路は紅の車両で埋め尽され、ある種土曜の夜の名物ですらあった。 横浜市から都内までの国道1号線では、他チームや連合と合流することもあり、まさに暴走族車両で国道が溢れかえり社会問題化する。
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