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【沿革】 昭和六十年代に入ると、関東連合の中心は東京から地方に移っていく。 都内に残った紅は毎年規模が小さくなり、十人に満たないチームもあった。 年を経る事に自然消滅しては、有志が集まり復活させるを繰り返していた。 しかし、それでは伝統を上の代から受け継ぐ旧来の暴走族とは違うものとなり、関東連合の成り立ちや紅の正確な世代すらも東京では風化していったのである。 地方では消滅させることなく、かといって各々のチームが大幅に規模を縮小させず、関東連合を存続させていた。 しかし、年号が昭和から平成に変わる頃には横の繋がりは次第に途切れ始めていく。 僅かに数チーム残っただけの紅では、県を跨いだ関東連合を形成させるには、あまりにも足りなかったのである。
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