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それは弱みなのだろうか。確かに少しばかり恥ずかしいが、誇れるものなはずだ。
それに――、
「俺はヤンキーじゃない」
「嘘よ、そんな極悪面の癖に」
逆三角形の三白眼に荒波のように跳ねた癖っ毛の為、初対面の人にはまず確実に恐れられるが、俺は人を殴ったことはおろか口喧嘩すらろくにしたこともない今時の高校生なのだ。
毎月欠かさず県外に暮らす母親に手紙を書いているし、学校をサボったことだってない。その証拠に進学校である峰ヶ丘学園に入学だって出来たのだ(Sクラスなのだが)。
言いふらされたって別にマイナスはない。それなのに有坂のこの勝ち誇った顔は何なのだろうか。
元々勝ち気に尖った目と眉をしている有坂だが、薄い唇を不吉に歪めるこの表情に恐怖が蘇生する。この女には何か秘策があるのだろう。
何せ有坂は峰ヶ丘学園の人間を数年間騙し続けていた猛者なのだから。役者が一枚も二枚も上なはずだ。
「……何が望みだ?」
平穏の崩壊だけは避けたい。せっかく、理知的な学生が集う峰ヶ丘に入学を果たし、トサカ頭の集団に絡まれることのない平和な青春を手に入れたのだ。
何としてでもそれは守りたい。だからこそ、有坂を敵に回すべきではない。
「望み?」
そう言いながら有坂はブレザーの胸ポケットからゴムを取り出し、片手で器用に前髪を結った。
「そうだな、オマエ。“オレ”の下僕になれ」
それが本物の有坂チロルとの出逢いだった。格好良く言ってみるならば邂逅という単語を使ってもいい。
とにかく俺は未知との遭遇を果たしてしまったのだ。その時の俺は数瞬どころか数十秒、硬直していたと思う。
皮肉にもそんな俺を呪縛から解放したのは、黒猫の憐憫が込められた微かな鳴き声だった。
拝啓母さん。
どうやら俺はとんでもない輩に目を付けられてしまったようです。
敬具。
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