4人が本棚に入れています
本棚に追加
ミゼットまでは私やオーサーの足だと約半日の行程となる。
近道を使えば二、三時間は短縮できるのだが、道を抜けて直ぐに私達は謎の黒装束に度々襲われていたため、昼頃に出たのに既に空は一日を終わらせる光を世界に投げかけている。
ようやくミゼットの小さな門が見える場所まで来た私達は、ミゼット周辺を囲む広大な平原を見る。
ここらはミゼットで別荘を所有する貴族が契約している麦農家だと聞く。
収穫を控えた麦の穂を黄金色に輝かせる光景は、人に言葉を失わせる。
有名な画家がこの風景を描きに来たりもするらしいが、結局は未完成のまま帰るそうだ。
女神の遺産とも称される光景を目の前に、オーサーと二人で立ち止まり、私は小さく息をつく。
「いつ見ても綺麗ね」
「だね」
風に揺れる草は流れを追うように波を作り、吹き付ける風には青草の良い香りが混じる。
どこか懐かしくどこか悲しくなる光景だと、私は見るたびにいつも思う。
初めてここへ来たときから、見たことのないはずなのに見覚えのある風景。
そこにいつも重なる血生臭い光景。
イネスの時とは別の戦いが――見たことのない光景がここに重なる。
そこへ無意識に差し伸べてしまいそうになる両手を、私は拳を強く握って留める。
「オーサー、もしも、ね」
「もしもは無しだよ、アディ」
囁くように呟いたら、オーサーに即座に止められてしまった。
だけど、私はそのまま光景から目を離さずに続ける。
「もしもこのまま、逃げたらどうなるのかな」
時々、何もかもを捨てて逃げてしまいたくなる。
女神の眷属だと言われたわけではないし、自分でも否定し続けてきた。
でも、あのイネスで「もしかしたら」と言われた日からずっと、心が休まる時はない。
震える私の手にそっとオーサーの手が滑り込み、強く握って支えてくれる。
「逃げてもいいよ。
僕はずっとそばにいるから」
びくりと自分でも驚くほどに身体が震えたのがわかった。
逃げても、いいのだと。
いつもオーサーは私に言ってくれる。
だけど、本当は逃げ続けてもどうにもならないと私はわかっているんだ。
私は無言で首を振って返した。
最初のコメントを投稿しよう!