竜神丸

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昭和17年、渡邊一輝は14歳の少年だった。広島の貧しい漁師の家に生まれ、父はすでに戦死し、八歳年上の兄も前年の五月に出征していた。家には働き手がいなくなり父が亡くなってからは兄が船長をつとめていた、竜神丸は、主のないまま漁港の外れに係留されていた。学校の行き帰りに漁港のすみの竜神丸を目にするたび、一輝は何もできない自分にはがゆさを覚えた。召集令状に応じて兄の修が出征したとき、村の人たちは総出で見送り、口々に万歳を叫んでいた。一輝は顔見知りのおばさんの一言が忘れられなかった。 「一輝くん、お兄ちゃんの晴れ姿をよーく見とき」 兄がいなくなってから、母のスエは忙しい合間をぬって竜神丸の手入れをしに出掛けた。出す者もいないのに黙々と甲板を磨いた。その姿を見ると、早く一人前にならなければという一輝の焦燥感はますますつのった。 ある日、学校から一目散に走って帰る途中、一輝は漁港のあたりで母の明るい声に呼び止められた。 「カッちゃんお帰り」 スエは一輝と幼馴染みの斎藤佳奈と一緒に竜神丸を掃除をしていた。 「母ちゃん、掃除なんかしても無駄や、兄ちゃんが帰ってこんと船の出番はないんじゃけん」 「そんじゃけど、修が帰って来たら、すぐにでも船が出せるようにしとかな。バチが当たる」 「それ、おばさんの口癖、いっつも言うとる」 おさげ髪を揺らしながら佳奈が笑った。 両のほおにできるえくぼが愛らしかった。 「あ、そうだ、カッちゃん、海軍に志願したゆうて、ほんま?」 佳奈がきいた。 「ああ。戦に行って兄ちゃんに続かんと男がすたるけん」 「でも、カッちゃん、まだ14どしょ。志願したってとってもらえんのと違う?なぁ、おばさん」 スエは甲板を洗う手を止めない。 「海軍四等水兵、渡邊一輝、大竹海兵団に入団いたします!」 一輝は突然大声を張り上げると佳奈に向かって敬礼した。ぁどけているのか本気なのか、佳奈は一瞬、返答につまった。 佳奈は笑った。 「あのな、トクネンヘイいうて、海軍特別少兵は14でも志願できるんだ。海軍の制服はカッコええぞ」 「あたしは漁師姿しか想像できん」 佳奈はすねたように下を向き、再び掃除を始めていた。
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