梅花、願うならば

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江戸城下のとある一角。 梅の木が一本だけ植えられた家の縁側で、若い男と女が並んでいた。 「馬鹿ね」 梅の花が散った白い着物を纏った女性が、ぽつりと呟く。その手には、流麗な文字で綴られた文が大事そうに握られていた。 隣に座る男の頬を心地よい風がふわりと撫でるが、とうに温もりを失った茶の表面を悪戯に揺らすばかりで、女の色白の顔を和らげることはなかった。 「サンナンさんのおっしゃった通りね」 懐かしい名を聞いた、と男は遠い昔のような気さえする記憶を掘りおこした。 男を含め隊士達の多くが温厚な山南(ヤマナミ)のことを慕い、彼女もまた、「サンナンさん」と呼び、慕っていた。 けれどそれも、もう昔のことだ。 山南は近藤や土方らの意見の食い違いから新撰組を脱走し、捕縛され切腹した。 それは、男にとっても隊士たちにとっても苦い記憶でしかなく、以降彼の名を耳にすることはなくなった。 瞳を伏せた男の鼻を、梅の芳香が僅かにくすぐる。 男ははっと、梅の木を見つめた。 「……梅の花が」 呆然としたような男の表情をちらりと見て、女もまた梅の木を見た。張り巡らされた枝のなか、一際天を目指すその枝の先に、一つだけ白い花が綻んでいるのを見て、女が初めて表情を変えた。
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